万年体育3のトライアスロン斬鉄剣

いつも体育3だった運動凡人が、トライアスロンでマイペースに勝利を目指すブログ。主に日々の練習について書いてます。

【1月31~2月3日】バイクの実走は気持ちが良い。

1月31日(金)/バイク

Zwift SST(short)
内訳:(5分96%+5分89%)*4set

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ランのポイント練の翌日なのでSST

SSTが良い感じでこなせるようになってきた。
着実に力をつけてるね~。

2月1日(土)/バイク

Zwift Criss-Cross Crushers
内訳:(30秒160%+3分30秒88%)*5set+5分88%+(5分114%+5分72%)*3set

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午前中にバイクのポイント練。

「脚が重いかな~」と思って始めたけれど、最後のVO2maxの3セットも粘って達成。
設定パワーを大きく下回ることなくできた。
これはかなり成長している。

トライアスロンシーズン前に、昨シーズンのピークのFTPを余裕で超えていけそうだ。
俄然やる気出る~。

・・・

お昼は「つの旨」へ。
前日に友人がつの旨を食べていて、私も食べたくなってしまった。

週一のつの旨が強くなる秘訣だ。
内緒だよ。

少なめラーメン+生たまご。
ヤサイニンニクアブラ。

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バイク練でお腹がすいていたのでヤサイをコール。

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結果はちきれた。

スープは先週の方が旨かった気がする。
しかし、ブレの範疇か。
結局、旨い。

豚は箸で簡単にほぐれるブツ。
麺と一緒に食えば昇天。

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後半に七味のパンチをぶち込めばラストスパート開始だ。

腹パンタンパク質しっかり補給して退店。
超回復して、また強くなってしまった。

2月2日(日)/バイク・ラン

〈バイク〉

実走60km程度/TSS172

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〈ブリックラン〉

10km jog/5'02"pace

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クライマーの先輩とトライアスロン仲間と実走した後に、ブリックランを行った。

クライマーは登りが速いや。
ついて行くのを頑張ったら2時間でTSS170くらいと良い練習ができた。

トライアスロンを始めてバイクに乗り始めた当初は、登りも平地も遅くてダメダメだった。
それが、強い人たちとの練習も行えるようになってきた。

やっぱりいろいろな人たちと練習ができるとバイクは楽しい。
まだまだ強くなれそうで、バイクの練習に身が入る~。

バイクを頑張った後のブリックランはキロ5ペースだったのにキツかった。
強い人はブリックランも速い。
負けてらんない~。

バイクで疲労した状態でランが走れなきゃ、トライアスロンは勝てないんだ。
疲れてるところからぶちかませる強さがほしい。

なにはともあれ、みんなの練習で追い込めて良かった。

午後の結婚式の衣装選びは眠くてやばかった…。笑

2月3日(月)/スイム

長水路

Up SKPS 400m
P 50m*4 ※各種スカリング
S Fr 100m*8 1'30
Loosen 100m
K Fr 50m*4 75" ※E-H、H-E、H-H
Drill 50m*2*5set ※グラインド、片手、脇タッチ、キャッチアップ、ヘッドアップ
S Fr (50m*4)*2set 1'20 ※E-H、H-E、H-H、E-E 
Down 200m

合計2,800m

日曜日に頑張ったのでスイムで休足日。

久々に長水路で泳いだらキツかった。
というかスイムを全然していないのでキツくて当たり前か。笑

練習していないと、長水路での100m1分30秒サークルがすごく良い練習になる。
腕パンで終了。

スイムも徐々に上げていく。

気合いのインターバル。キツい。

1月30日(木)は、上州アスリートクラブにてランのポイント練習。

メニューは、500m×10本(設定1'40"、つなぎ75")。
結果は、1'38-1'39-1'40-1'39-1'40-1'41-1'40-1'40-1'39-1'41。

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500mのインターバルでこの設定は初めて。
「ま、いけるやろ」と思ってやり始めたらめちゃくちゃキツかった。
特に後半3本はキツすぎてやばかった。

それでも、設定を1秒オーバーくらいにとどめて、踏ん張ってやりきれたと思う。
これは、かなりいい練習なのでは。

インターバルはこれで、ペース走も併せて行っていたら・・・強くなる気がする!
バイクも調子良いし、5月からのトライアスロンシーズン楽しみや~。

しかし、身近な速い人は、このペースくらいでフルマラソン走り続けるって何事なの!?笑
こわっ。

満身創痍で練習を終えたが、身近な足が速い一見するとツンツンしてそうだけど優しいエザチョゲ後輩が「今年もトライアスロンのリレー出ましょう!お父さんの好きだった曲流しながらいきましょう!」って言ってくれて、めっちゃ優しくて励まされた。

周りにいい人ばかりで頑張れるね。

【1月27~29日】久しぶりのCriss-Cross。

1月27日(月)/バイク

Zwift SST(short)
内訳:(5分96%+5分89%)*4set

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まあまあキツいけど、やり遂げることはできる。
この感じでSSTができると良い感じの証拠。

FTP更新後も、コツコツとバイクの練習をしているので徐々に調子が上がってきているようだ。

トライアスロンシーズンまでにバイクをごりごりに強化しておく。

1月28日(火)/バイク

3x15min Crisscross
内訳:{(30秒121%+2分89%)*6set+5分66%}*3set+(5分105%+3分66%)*2set

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本来ならばランのポイント練習の日だったが、積雪と雨と低気温でなにやら危険な気配がしたので(笑)、バイクのポイント練習に変更。

久しぶりのクリスクロス。

クリスクロスクラッシャーのキツさに鍛えられたのか、クリスクロスはキツいながらも完遂。
90分くらいでTSSは128と、良い感じで追い込めた。

日曜日はクライマーの先輩やトライアスロン仲間とライドへいくかも。
TTバイクでアップダウンのあるコースを攻める。
いじめられそうだ。

1月29日(水)/ラン

10km jog

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つなぎのジョグ。

最近ジョグのペースが上がってしまって、Eペースより速くなってしまうことがあったので、自分を抑えて走ってみた。

そうしたら、心拍数も低く、Eペースの範囲に良い感じで収まった。
しっかりEペースの範囲に抑えないと、無駄に疲労をためてポイント練習がこなせなくなる気がする。

練習はジョグもポイントも設定を守ってやらねば効果も薄れてしまうね。

【1月24日~26日】バイクの実走が気持ちよい。

1月24日(金)/ラン

10.5km jog

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ランのポイント練習翌日のためジョグ。
暖冬のおかげで、夜も厚着せずに走れて気持ちよい。

ジョグしていたら、左折してくる車にひかれそうになった。
群馬県は、歩行者優先ができない運転者が多くて怖い。

夜に走るときは反射タスキを装備しているし、視認できないってことはないと思うのだけれど・・・。
自分が運転手の時は、ランやバイクの練習をしている人に優しい運転者になろう。

・・・

練習後に「つの旨」へ。
かなり休業していたが、なぜかこの日は営業していた。
このチャンス、逃すわけにはいきますまい。

並びもそこまでで、着丼まで40分くらいだった。

少なめラーメン+生たまご。
ニンニクアブラ。

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ツイッターでは「スープに迷いがある」とか「一人での営業に限界を感じている」とか、店長がネガティブなことばかりつぶやいていたが、一口食ったらくっそ旨かったのでこれからも頑張ってほしい。

スープ良し!麺良し!豚は超良し!
途中で七味をぶっかけて食えば食欲加速。f:id:tabo222kuma:20200127121451j:image

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このラーメン、生たまごに合いすぎやって・・・。
豚もなんでこんなに旨いんや・・・。

人を雇って、無理せず営業を続けていってください!
応援しています!

1月25日(土)/バイク

2時間実走(TSS178)

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この日は天気が良くなるとのことだったので、バイクの実走がしたいな~と前日から思っていた。

朝をまったり過ごしたので出発したのは午前9時30分過ぎ。遅い。笑

アップダウンのあるコースで体を温め、渋川市赤城町の坂で気張っておいた。
頑張ったので、後半は脚が消耗しまくっていた。

最近はバイクの実走が気持ちよい。
実走は、室内でのローラーより景色などを楽しめて良い。

もっと暖かくなったら「榛名湖トライアスロン」の練習がてらに、榛名湖まで登っておきたい。

1月26日(日)/完全休息

前日にバイクで頑張ったので完全休息。

一緒のランニングクラブで頑張る後輩が、「群馬県100キロメートル駅伝競走大会」でうちの近所の区間を走るというのでの応援へ。

登りの区間でつらそうだったけど頑張ってたね~。
応援されると頑張れるのは自分も実感しているので、気張って応援しておいた。
効果があったかはわからない。笑

また、同時刻頃に、勝田マラソンに先輩や後輩が出ていたので応援の念を送っておいた。
みんなベスト更新していてよろしい。
私も負けていられない。

その後は結婚式のために打ち合わせやら何やらしていて、あっという間に一日終了。
休みはあっという間や~。

父の死もなんとなく受け入れられてきた。
また月曜日から頑張るか。

久しぶりにスピード練習。

1月23日(木)は、上州アスリートクラブにてランのポイント練習。

メニューは、2000m+1000m(設定7'00-3'30、rest2'30)。
結果は、7'01(3'29-3'32)、3'30。

久しぶりにランでスピードを出した。
速い人からしたら大してスピード出てねぇだろ!といわれそうだが、自分としては頑張っている方。笑

いつもなら1000m5本のインターバルだが、この日は珍しく2000m+1000mだった。
初めてやるメニューで、「なんか少ないし余裕でできるやろ~」と思っていたらキツかった。

1000mのインターバルだと良い感じでこなせる設定だが、2000mになると結構キツかった。
2000mのあとの1000mがさらにキツかった。
良いメニューだ。

ランはトライアスロンのためにペース走ばっかりやっているので、たまにやるインターバルなどのスピード練習がキツい。
本当ならペース走とインターバルを毎週やりたいんだけれど、バイクとの兼ね合いで難しいんだよな~。

ま、今はバイク強化の方が重要やな。
ぼちぼちやってきましょう。

【1月12日~22日】色々あったけれど、練習して強くならねば。

1月12日(日)/カーフマン北関東ステージ


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初めてのデュアスロン

本当は1つの記事として書きたかったが、更新をサボっていて書くべきことが溜まっているので簡単にまとめる。

会場は、埼玉県の国営武蔵丘陵森林公園
ランコースは、結構キツい坂がある1kmコースを5周回×2回。
バイクコースは、アップダウンありカーブありのテクニカルな6kmコースを5周回。

私は、バイクのテクニックもパワーも大したことない。
それでいてランもたいして速くない。
そのため、どうなるか不安だったが、練習がてら楽しもうという気概で臨んだ。

結果は次の通り。

〈1stラン5km〉19分16秒/22位

〈バイク31.5km〉53分57秒/12位

〈2ndラン5km〉20分23秒/21位

〈総括〉41.5km/1時間33分36秒/総合順位15位/年代別8位

まあ、今の実力通りといった感じか。
バイクが順調に強くなっていたのがわかった。

それにしても、慣れないデュアスロンだったため、ミスが目立った。

ミス1 1stランからバイクのトランジションで、厚手の手袋をしていたためヘルメットを上手く装着できない→結局手袋を脱いでヘルメット装着

ミス2 バイクへの出口を間違えて少し逆走して戻らされる

ミス3 バイクから2ndランに備えてバイクシューズを脱ぐ準備をしたのがめちゃくちゃ早すぎた(1km以上前からバイクシューズを踏みつけるスタイルでバイクを漕いだ)

特にミス3がひどかった。
何を勘違いしたのかかなり早くからバイクシューズを脱いでしまった。
これがなければバイクは20秒は速かった気がする。

そして本大会では、バイクのドラフティングをする人がかなりいた。(エイジグループはドラフティング禁止されている)
ずっと私の後ろにいて、最終周回の最後らへんから前に出て行った学生ら多数。

私は強くなるためにドラフティングをしないと固く決めているので、そういう人たちは強くなれないと思い放っておく。

後味の悪い感じでレースを終えたが、ランもバイクも強くなっていたのでよし!

 

1月13日(月・祝)/完全休息

前日にデュアスロンで追い込んだので完全休息。
お父さんのお見舞いにいったりしてまったり過ごした。


1月14日(火)/完全休息

父の命日。
詳しくは、別ページ参照。

taiiku-all3-kuma.hatenablog.jp

 

バタバタしていて練習できず。
精神的にもキツかったのでそれどころではなかった。

 

1月15日(水)/バイク

Zwift SST(short)
内訳:(5分95%+5分88%)*4set

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忌引きが7日間。
告別式やら何やらで忙しくなりそうだ。

それでも時間はとれるし、お父さんも「俺のことで落ち込んでる暇あるなら練習しろ!」って言っているような気がして、乗り気じゃなかったけど練習再開。

パワーメーターの調子が悪く、ちゃんとパワーが出ていない気がした。

1月16日(木)/バイク

Zwift Criss-Cross Crushers
内訳:(30秒160%+3分30秒88%)*5set+5分88%+(5分114%+5分72%)*3set

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相変わらずパワーメーターの調子が悪い。
いたたまれず練習後にメーカーに問い合わせた。

イタリアメーカーなので英語。
適当な英語で送ったけど、なんか伝わったっぽかった。

そして、夜に二郎くったけど、なんだかいつもよりうまくねぇなぁ…。
お父さんのことで気分が晴れない。

 

1月17日(金)/ラン

10km jog


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 前日がバイクのポイント練習だったので軽くジョグ。
そんだけ。

1月18日(土)/ラン

 2km jog+1km Race pace+2km jog

 

日曜日に下仁田駅伝があるため、その調整。
悪くない感じで仕上がる。

1月19日(日)/下仁田駅伝、バイク

下仁田駅伝/2区5.6km〉

結果は、20分11秒。


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登りの多い区間で、かなりキツかった。
それでもまぁまぁな走りはできたと思う。

お父さんのこともあったので、出場見送りも考えた。

それでもやっぱり、お父さんに私の走りを見せるために走った。
見ててくれただろうか。

 

〈バイク〉

Zwift SST(short)
内訳:(5分95%+5分88%)*4set


f:id:tabo222kuma:20200122144018j:image

駅伝の距離が短かったので、諸々済ませた後にバイク。

そうしたらめっちゃキツくて1セットでやめて、あとはL2くらいで回しておいた。
やっぱり本気で走ると、距離が短くてもダメージは大きいんだな。

1月20日(月)/ラン

14km jog


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 短めにジョグしようと思ったら、気持ちよく体が動いたので長めにジョグしてしまった。
春みたいな陽気で気持ちよかった。

1月21日(火)/バイク

Zwift Criss-Cross Crushers
内訳:(30秒160%+3分30秒88%)*5set+5分88%+(5分114%+5分72%)*3set

 

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パワーメーターの調子がわるかったが、メーカーに問い合わせて解決方法を聞き、なんとか直った。
こういうとき日本語で対応してくれないメーカーは大変だ。
まぁ、直ったのでよし。

練習はバイクのポイント練習。
前日長く走りすぎたのかめっちゃキツかった。
最後の方は設定パワー守れなかったね。

バイクは強くなってきているので、キツくても頑張るのだ。

1月22日(水)/スイム

短水路

Up SKPS 400m
P 50m*4 ※各種スカリング
P Fr (200m+100m)*3 3'00-1'20 ※パドル有り
Loosen 100m
K Fr 100m*6 2'00
S Fr 100m*8 1'30
S Fr 25m*2 50" ※Hard
Down 200m

合計3,250m

1月4日ぶりにスイム。

久しぶりに泳ぐと、泳ぎはじめは水がスカスカだ。
そして、キツい。
それでも後半は、水をつかめるようになって良かった。

2020シーズンのスイムは「現状維持」。
あわよくば少しだけ向上。

バイクとランの強化のためにスイムは少なめで!
でも少なすぎると良い練習ができないので難しい・・・。

・・・

こんな感じで、気持ちを切り替えて練習継続だ。
2020年のトライアスロンシーズンはぶっこんでいきたい!

父を失って。前へ、前へ。

2020年1月14日(火)に、父が他界した。

たびたび本ブログにも書いていたが、膵臓ガンだった。

66歳だった。

 

そのこともあり、ブログを書く気になれず更新が滞っていた。

告別式なども済み、忌引きも終わるし、なんとなく気持ちも落ち着いてきたのでひさびさに更新する。

 

自分の気持ちの整理も兼ねて、父との思い出などをつらつらと記していく。

 

私が幼い頃の父は、「怖いお父さん」という印象が強かった気がする。

私への躾は厳しい方だったのではないだろうか。

怒鳴られることもあったし、ゲンコツをくらったこともたびたびあった。

父は学生の頃柔道部だったのもあり、余計怖かった。笑

 

おじいちゃんが営んでいた食肉販売店を継いで、定年退職するまで守った父。

私が子供の頃、良く市場に一緒にいって競りとか見てたっけ。

競り落とした肉を、でっかい包丁で捌いてるのも良く見た。

 

そういう職人気質だったので、父は銀行とか市役所とかの人が嫌いだったな。笑

 

いまでも、道路で冷凍室がついたトラックを見かけると、父が働いていたときのことを思い出す。

競り落として、捌いて、配達。

配達も一緒に行った。

 

配達車の埃っぽい匂いと食肉の匂いが混ざった香り。

今でも鮮明に覚えている。

 

父は昔から仕事熱心だった。

「仕事行きたくない」とか「仕事だるい」とか「休みたい」とか、そういったネガティブな発言を聞いた記憶がない。

 

社会人になった自分はどうだろうか?

父のそういったことを思い出して、自分のダサさ、恰好悪さを痛感した。

 

父が言っていたが、おじいちゃんの金遣いが荒く、おじいちゃんが作った借金がかなりあったようだ。

「それを全部俺が返してやったんだ」と誇らしげにも言っていた。

 

おじいちゃんが酒以外で好き放題やって、父たち家族に、嫌な思いや大変な思いをさせたとも言っていた。

だから、父は遊ぶようなことなく、真面目に働いて私たち家族を支えてくれていたんだと思う。

 

おじいちゃんの作った借金がなければ、もっと早くに退職して株で儲けるつもりだったと、亡くなる1ヶ月くらい前の病室で私に語ってくれた。

「おじいちゃんの借金がなければ、10億は稼げたかなぁ」と、冗談だか本当だかわからないが言っていた。

 

話は変わるが、父が退職を決めた時におばあちゃんも混ぜて家族みんなでご飯を食べに行ったときのことが印象深かった。

私が退職祝いになんでもごちそうするからといって食べに行ったのは、昔から家族で良く行っていたトンカツ屋さんだった。

もっと高いものでもなんでもごちそうしたのに、なんとも父らしい。

 

その時、父は言っていた。

「おじいちゃんのせいで何度も心が折れそうになった。実際何度か折れた。それでも諦めずに全部清算して、やりきった。」

そう言ったときの父の目には涙が浮かんでいた。

 

辛いこととか、嫌なこととか、沢山あったんだろう。

それでも我々子供に弱さを見せなかった父が、少しだけ弱さを語ってくれた。

かっけえなあ。

 

私が高校を卒業するまでは厳しかった父も、大学生以降は干渉するようなことはなかった。

高校を卒業したら大人として扱ってくれたのだろう。

本当に自由にやらせてもらった。

 

「進路とか就職とか、強制するようなことはしなかった。」と、病室で語っていた。

本当にそのとおりで、自由にのびのびと生きさせてもらった。

ありがたい。

 

社会人になって、車で事故ったときとかは笑いながら「大丈夫だ」と助けてくれたし、大事なときはいつも力をかしてくれた。

私が一人暮らしをして、たまに実家に帰ったときも何も変わらず受け入れてくれたし、本当に良い父だった。

 

そんな父が、体調不良を感じ始めたのが2019年の4月頃。

食べでも吐いてしまうことがあったそうだ。

そんなことが続いたので、群大病院にいって検査入院。

 

しばらくして、腸閉塞だかの診断で、その処置を受けて退院。

その後、良くならずにまた入院。

そんなのを繰り返して、最終的に栄養補給のために腸に管をつなぐ手術が行われた。

これが10月中旬頃。

 

その後、検査をして11月3日に「膵臓ガン」と診断された。

膵臓ガンは判明するのまでが難しいらしいのと、父のは珍しいタイプだったらしく判明するのが遅れたらしい。

 

母は医者から「年内もつかわからない」と言われたといっていた。

あまりにも急だったので現実感がなかった。

なんだかんだ良くなって退院して、またいつも通り実家に父がいる風景が戻ると思っていた。

それはかなわなかったのだけれど。

 

調べてみたけれど、膵臓ガンは予後が良くない。

ほとんど死亡してしまうみたいだった。

そして、父は「こんな管もつながれて、飯も食えねぇし生きてても意味ない」と言っていた。

父らしい。

 

父がガンだとわかってからは、時間が取れるたびにお見舞いに行っていた。

父は「あんまりこなくていいよ」と言っていたけれど、残された時間が少ないとわかっていたので、少しでも話したかった。

 

父も私も、二人の時は口数が多いほうではないので、たくさん話せたかというとそうでもないように思う。

それでも、昔のことや母の事などいろいろ話してくれた。

「俺は浮気したことはない。しようとも思わなかった。」とか「お母さんと結婚式挙げてないし、前撮りで着物とか着せてやれば良かったかなぁ。」とか、熱いこと言ってた。

 

父が亡くなる一ヵ月前に、私と奥さんの前撮り写真が完成して父の病室に飾るように写真たてに入れて持って行った。

めっちゃ喜んでいた。

私がいないときに、いろいろな人がお見舞いに来るたびに写真をみて喜んでいたと、お見舞いに来た人たちから聞いた。

 

私が一番嬉しかったのは、父が私たちの写真を見ながら「おじいちゃんのせいで碌でもねぇ人生かと思ってたけど、この写真を見てると良い人生だったと思える。」と笑いながら言ってたこと。

「あぁ、ほんのわずかだけど父に親孝行できたかな」と、思った。

本当は結婚式にも出席してほしかったし、孫も見せてやりたかった。

仕方ないんだけど。

 

そして、父は徐々に弱っていき、最後は自分でトイレにもいけないほどになってしまった。

 

父は緩和ケアのできる病院を希望していた。

静かに過ごしたかったようだ。

 

緩和ケアの病院に転院できたのが1月9日。

ああ、やっと希望を叶えることができたなと思っていたら、14日の仕事中に母から「お父さんが危険かもしれないから病院に来てくれ」との連絡があった。

私が駆け付けた時には、父は落ち着いていたが意識はなく寝ているようだった。

 

13日に奥さんとお見舞いに行った時には、喋ることはできないが意識はあり、私の会話に頷いたりできていた。

この時点で結構やばいなと予感はあったが、あっという間だった。

 

 14日に駆け付けてから、意識が戻って会話をしたかったがそれは叶わなかった。

 いや、母たちがいったん家に戻ってまた来るとなり、病室に父と二人きりになったとき私が「辛い?大丈夫?」と声を掛けたとき、ほんのわずかだが頷いたように私には見えた。

私の希望でそう見えただけかもしれないが、聞こえて反応してくれたんだと思いたい。

それが最後のやりとり。

 

私、母、妹、奥さん、みんなが揃っていた。

その時は突然だった。

一時間くらい置きに看護師さんがきて血圧等確認していたのだが、看護師さんが「呼吸もしてないし脈も確認できない。お別れしてください。」と告げた。

あまりにもあっけなくて呆然とした。

 

母が「辛かったね。頑張ったもんね。好きなものたくさん食べてね」と言ってボロボロ泣いていた。

私は何も言えなかった。

 

最後に父が苦しんで逝かなくてよかった。

本当に気付かないくらい穏やかに亡くなっていった。

最後はガリガリに痩せてしまっていた。

食べることが大好きで、あんなに恰幅がよかったのに。

さようなら、お父さん。

 

その後はすごい勢いで過ぎていった。

医師による死亡確認、葬儀屋による家への搬送、葬儀の準備。

あっという間に告別式当日。火葬。

 

父は本当に身内だけの小さい葬儀を希望していた。

だから、新聞にも掲載しなかった。

それでも告別式の当日にはたくさんの人が来ていた。

父は恥ずかしかったかな。

 

父の強い希望で告別式は「音楽葬」とした。

亡くなる前に、流して欲しい曲をリストアップしておくという周到さ。

父らしい。

 

私の友達なども来てくれて、本当に元気づけられた。

父の告別式に来てくれた人や香典をくれた人達が落ち込んだり悩んだりしたときは、力になろうって思った。

 

後日、母の兄であり、父の友人でもあるおじが「お父さんらしいすっきりさっぱりした式でお父さんの『まぁ、ひと足先に行ってるから、あわてずに来てくれ』という声がしてきそうだった」と言っていた。

まさにその通りだなって思った。

 

「俺もあと60年くらいしたらそっち行くわ。それまで好きなもん食って、好きなことして、おじいちゃんぶっ飛ばして元気にやってて!」そう思ってお別れした。

 

家族を亡くした人が「まだ生きているような気がして、今にも声が聞こえてきそう」とよく言う。

これは本当で、私も実家にいると父の声が聞こえてくるような気がする。

 

みんなで食事をとるときの父の定位置に誰もいない。

「あぁ、お父さんはもういないんだなぁ」と実感する。

それでも私の中には父は生きていて、声が聞こえてくる。

「お母さんを、家族を、頼んだぞ」と。

 

今はまだ胸にぽっかりと穴が開いた感覚で、ふとしたときに涙が出てくるけど前へ、前へ進まないと。

この悲しみとか絶望を乗り越えたら、また人間として一回り成長できるかな。

成長した姿を父に見せないと。

 

さぁ、また明日から日常が始まる。

母が告別式のあいさつで言っていたが、「何事も覚悟を決めればうまくいく」というのが父の座右の銘だったようだ。

覚悟を決めて、明日からぶっこんでいくぜ。

 

追伸 ↓音楽葬の曲目。この曲を見聞きするたびに父を少し思い出して欲しい。こんな人もいたんだって。しっかし、曲目も父らしい。笑

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